心のケチ
2017年から2年間ほど、私は近所で気軽なアルバイトをしていた。始めたきっかけはほんとになんの考えもなく思いつき程度だった。
辞めるタイミングも特別な考えもなく、続けてもどちらでも良かったが、2019年春に本業が繁忙期を迎えるのと、あと、一人付き纏ってきて困っていた人の言動がエスカレートして怖味が増してきたこともあり、なんとなしに軽く辞めた。
その現場にaさんはよく顔を出してくれていた。
私のお昼休憩を待って一緒にごはんを食べたり、暇な時はしばらくそこにいたり、本当はいけないのだけど中に入って過ごしていたりした。
車をまだ運転していた時期は終わる頃に迎えにきてくれた。
窓口から、前の道路を横切るaさんの車を私は見ていた。
その頃、急に症状があらわれaさんは入院したことがあったのだが、退院してから車の運転をやめた。
運転をやめてからは、帰る時はコミュニティバスに乗る時と、電車の駅に向かう時とがあった。
aさんが帰りゆく後ろ姿は脳裏にはっきりと焼き付いている。
その時から既に何か悲しい予感のようなものを私は感じていて、遠ざかる後ろ姿のリュックやキャップを視界から消えるまで目で追いながら、
「ああもうすぐ姿が消えてしまう。よくよく見ておこう覚えておこう」
なんて思っていたし、帰っていく時はすごくさみしい嫌な感情があった。(毎日いるのに)
コミュニティバスの時は目の前がバス停だったので後ろ姿が遠ざかるパターンではなく、バスに乗り込むときに軽く手をあげて「じゃあな」というポーズをするのを見ていた。
でもいずれにしても、じゃそろそろ行くよ、と去っていかれることにどうしても妙なさびしさがあった。
バスの車体には市のキャラクターの愛嬌ある絵が全体に描かれていて、その派手具合が悲しい感覚を一層引き出してくるので妙な感覚になる。
ある時、その日は別のところに向かい何日かそっちにいる予定で帰っていくことがあった。
貸していたプルームテックを欲しがり、私に返却したくなくて、〝うぅーん〟とごねる表情と声を出して、これを持っていきたいという主張をしたaさんに、
私は貸すのを拒絶した。
プルームテックは、私は標準の使い方ではなく改造を加えコットンにリキッドを注入したり部品をバラしたりして節約、長持ちをさせるという使い方をしていたので、
私がaさんと一緒にいる時ならその状態を管理できていたのだが、aさんだけでは使い方の管理ができないと思ったからだ。
実際aさんだけで使わせていた時、標準の使い方ですら間違えて、カートリッジとバッテリーのサイクルがおかしなことになっていたし。
困った顔で「持っていきたいよー」と要求されても、時間の問題ですぐ使えなくなりただの棒になるのは明白だった。
だから冷酷に「だめ!」と却下し、手から奪い取った。そして追い返すように後ろ姿を見送った。
あれは私の、「心のケチ」だと思う。
今も思うし、その時も罪悪感を感じた。
貸して欲しいよーと言うaさんから非情に奪い返すのは、
使い方を丁寧に教える手間を惜しんだからだ。手間をかけるのをケチったからだ。
教えたからといってaさんが正しく使うことはできなかったと思うが、それでも教える面倒さという努力を私がしたくなかったからだ。
また、貸して失くされるのもわりと予測できていたので、失くされて「ほら言わんこっちゃない!」と憤慨して責め立てて言い訳聞くという嫌なムードの一連の流れをまた何度も体験するのが嫌だったからというのもあった。
それも「心のケチ」。
もし逆で、aさんだったら、
私がミスる可能性や失くす可能性のことなど考えず、私が望むことを叶えてくれるための努力をしてくれただろうと思う。
私が「教えたところで使えないし、失くすし」というのはもっともらしい断る理由だけど、
自分自身の心のケチに対する言い訳なんだ。
また、プルームテックは加熱式たばこなわけで、不健康なaさんからそれを取り上げるのは「良いこと。aさんのためにそうすべきこと」なので、人によっては、
「それはaさんのためにそのほうが良かったんだよ。正解だよ」
と言うかもしれない。
でもでも、そこの問題じゃあないんだ私が言ってるのは。
うぅ〜ん、貸してよ、持っていきたいよ、
というような、ハの字眉にして口をすぼめたあの表情を私はよーく覚えている。忘れられない。
それを冷酷に取り上げた自分の醜く狭い心の動きも、他の誰でもない自分の心のことだから、よく覚えている。
その自分の心の動きのことで、自分が苦しい。
「心のケチ」
のことを、普段読んでいるブログで以前読んでから、このことを考えている。
プルームテック事件の他にもたくさんたくさんある。
ヘンケルスの新品フォーク事件などもある。意識を向けるととてもパワーがいるので今度またフォーク事件には改めて向き合おうと思う。
(刺したとかではアリマセン)
近所でアルバイトをしていた時期だから、そして車ではなく駅に向かって遠ざかっていった時期だから、あれはおそらく2018年。
2年前、あのプルームテックの使い方を説明し、aさんに貸して持たせて見送っていたとしたら、私のこの残るいやな罪悪感は、今よりは少し違うものだったのだろうか。
そして、ほしいものを持って帰れたaさんは嬉しい時間を過ごせたのだろうか。