蒲田ノスタルジィ
昨日はもしかして16年ぶりの蒲田。
さて、19時に蒲田駅にいることになった私は一時間フリーの身であることと「そうかここか…」という含みのある思いが立ち込めて、またふらふらと歩き回ってみた。
高校時代の親友とは卒業後も10年以上密接に関わっていた。進学先も、仕事先も、その他のいくつかの活動も。とにかく数え切れない活動を共にした。
親友は当時恋人と蒲田に同棲をしていて、私はよくその部屋に遊びに行き泊まったり、昼夜問わずランダムに出入りした。
Aさんと私が知り合って当初。真っ先に親友に会わせて、Aさんもこの蒲田の部屋に一緒に行った。親友の恋人と4人でおでんを食べ、一晩過ごし、車は路駐したまま、明け方に帰ったそうだ。
〝そうだ〟というのは、じつは私はこのことを全く覚えておらず、Aさんが亡くなってとにかく何でも私が忘れていることや私の知らないAさんの顔を知りたくて知りたくて、親友に何でもいいから記憶にあるAさんのことを教えて、と頼んだら引き出しからでてきた過去話だったのだ。
親友は丁寧に思い出して教えてくれたが、私は話を聞いても全然思い出せなかった。
ほんとに?というくらい。でもまあ、やりがちな行動ではあるし、そこで過ごした時の内容は他人事とも思えない話だったから事実なのだろう。
蒲田で一時間待機か…
親友のアパートまで歩いてみた。
アーケードは当時から古かったけれどいまはその古さが一層際立って感じられた。
変わってしまったお店もたくさんあった。覚えている景色もあった。
メインストリートを隈なく目に焼き付けながら、横丁の景色も逃さず見尽くそうとしながら、歩いた。
アーケードの終わりはさみしい感覚がする。
夏休みの終わりのような、人の死のような、未練のような妙な気分を味わって、そんな気分をやり過ごしながら先に進むと親友のアパートが見えた。
ここだここだ。
下から見上げてみた。
ここのあの部屋にAさんも私もいたんだ、と思った。あそこにいて、おでんを食べて過ごした(らしい)。
楽しかったのかな。Aさんも、楽しかったのかな。それとも気を遣ったのかな。私はどうだったのかな(忘れている)。
でも路駐した場所と車の感覚はなんとなく記憶があるようにも思うし、ここまでくる道のりも記憶にある。
ここかあ。
ここでそんなふうに過ごした一日があったんだね。
たった、たったの16年前なの、そうなの、Aさん。
16年のち、私が今見てる世界はガラリと変わったよAさん。
じゃあ今から16年過ぎたら、また世界は変わっているの?Aさん。
16年前の、そのまた16年前のことも併せて思ってみたりした。
正面玄関に回ってみた。
そうそう、このインターホン。そうこの扉口。Aさんも触れたかもしれない扉の、金属の取っ手に触ってみた。
その時Aさんと押したであろうオートロックのパネルに、触れたりなどした。
このパネルはAさんと私のことを知ってるパネル。
名残惜しかったけれど、アパートの前を去りながら、もうここに来ることもないのかもしれないなあとも思った。今日はたまたま蒲田に来たのだから。
ここに来たのは16年前。
Aさんがいた時。
復路の商店街もまたいやな悲しみ。
薬のヒグチって、あれも16年前。
ヒグチの経営者のかたが参院選の比例区に出ていることはAさんから教えてもらって知り、「へえ」と思ったの。
そんなことも16年間の間ずっと忘れていて、蘇った。だから何だということでもないのだけど。そこへ2020年のロゴだ。2020年にAさんはいなくなるのに。
蒲田は悲しいな。
でもあの時は楽しかったのかな、笑ってたのかな、Aさんも?
忘れているのだけれど。
蒲田はもう、もしかしたら来ることはないのかもしれない。だとしたらさようなら、になる。
さようならはいやだな。
その時は楽しかったんだろうか?覚えてないのだけど。
Aさん、またおでん食べたいね。