雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

ここもまた、あの特別な日々のこと

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snsからのお知らせで気づいたが、どうやら一年前の今週は、今日と同じ場所にいるようだ。

2006年、14年前も同じここにいた。その時はやや長期滞在だったはずで、1ヶ月(には満たないか)くらいいたはず。

 

ということはGさんもNさんも、14年前に知り合ったということになるのか。

そして今や親友のようになったAKさんは、あの時ある件で悩んでいて、それを横から、解決(もできないくせに)してやろうと口出しをしたOさんも、とにかくあの時はここに一同集合していた。

 

4月に亡くなったAさんは、確か私たちの車の後ろを追尾していて、割と早い段階で〝妙な動きの見知らぬ車がいる〟と察知され、慌てて行動を変えたりしたエピソードを思い出す。

この期間、みんな仲良くなってその後もこの地に関わるときにはAさんも参加してよく飲み会のような場に一緒に参加をした。

 

またひとつ思い出した。

そう。この地でAさんは一度命拾いをしているのだ。

 

この隣駅あたりだったかで、飲み会の帰り、わりと酔っ払って上機嫌のAさんは、駅近くの側道に差し掛かったあたりでトイレに行きたくなり、ちょっとした細い用水路のあるところの柵の脇から用を足した。

私はすぐそばで立って待っていて、ハッと背筋が凍った。

Aさんの立っている足場は、もう寸でのところで数センチ足元がズレていたら途端に踏み外して用水路に転落!!というギリギリのところだったことに気づいたからだ。

夜で暗いし、そのへんは灯りもないし、酔って気が大きくなっているし注意力散漫になっていたためか、そんな窮地に立っているとは夢にも思わず、楽々と用を足していた。

しかもその用水路、「ちょっとした細い水路」などではなくよく見るとけっこう深い。落ちたら大怪我を負うはず。

 

焦って、腕を引いて足場の広い面積を確保できるところまでAさんを引っ張った。すぐ状況を知らせてしまったら却って驚いて想定外の危険を招くかもしれないと思い、安全な面積の足元を確保する位置にくるまで、今どういう状況にいるのかは伝えなかった。

 

あとでふたりで改めて真っ青になった。

 

 

あとこの地でも何度かスーパー銭湯に入った。バリ島みたいな綺麗なイメージのスパにも珍しく来た(普段は健康ランドが多い)。

でもその時のことはあまりよく覚えていない。そのうえ、少し記憶も怪しいのでひょっとしたら記憶の改竄で、行っていない可能性もあったりして…とも思う。

 

格別に安いガソリンスタンドにも何度か行った。

朝のデニーズにも入った。

色々な団地にも行った。

 

この地の広域を根城に、Aさんとしばらく滞在して仕事に関わったことがあったから、ここに関する記憶はたくさん。

 

道の一本から路地までよく覚えていて、そこにはAさんと私がいた。

 

ある朝、ホテルに隣接していたチェーン店の喫茶店で、隣の席のイラン人ふたりに声をかけられた。

Aさんと私がイラン出身の知り合いの名前を出して会話していたら、

 

「その人はもしかして日本でザクロを売っていないか?」

「君たち二人は親子か?」

「ここに仕事で来ている?君たち何の仕事か?」

「自分たちはアレッポの石鹸を売っている」

 

などなど、話がはずんでいった。やはり私達が話題にしていた人は、彼らが知っている人と同一人物で、ちょっとした成功者として有名らしかった。

 

「二人は親子か?」と聞かれ、そうだと答えた。

 

アレッポの石鹸は日本でも東急ハンズや雑貨屋で売られていたので知っているし使ったこともあった。価格設定の話などもした。

 

そんなこの地でのプロジェクトは、最終的に2009年に一旦良い形で幕を下ろし、以降ここまで濃密にここに来る機会もなくなっていった。

 

そこに今わたしは来ていて。

 

よく見ていたはずの光景を写真に撮ったりした。

あの時はなかったホテルが駅前にできていた。

あの頃はなかった新しい地名もできていた。

あの頃あった店がいくつかなくなっていた。

 

そのことはAさんは知らないで死んでしまったから私だけが今知ったのだけど、

追いかけていって背中をつかまえて、ねえねえ!あそこがこうなったよ、と話したい。

 

話がしたい。教えてあげたい。そして何か反応してほしい。

答えてほしい。

「へえ」というAさんの反応を受け取る自分の感情を妄想する。

 

ねえ、こんなことを書いて載せてみるよ。私の、記憶の整理でもあるんだ。

忘れないために。

 

Aさんには伝えることはできないのかもしれないけど、でも〝確かにあった〟〝確かにいた〟ことを印にしたくて書くよ。

 

あの時はここからの眺めをべつに写真に撮ったりもしなかったけど、大事な大事な記憶の眺め。

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