雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

自由であることがさみしい

蒸留水器を勝手にいじって床一面が水浸しになることはなくなった。

トイレを流してなくて声を荒げることはなくなった。

洗面所の暖房が長時間つけっぱなしになり熱を持つこともなくなった。

鍵もドアも開けっぱなしのまま数時間家が留守だったと知り怒ることはなくなった。

犬に与えてはいけない食べ物を与え、吐き、そこらじゅうに吐瀉物や糞が散らかりっぱなしになることはなくなった。

買ってきた食べ物が次々となくなっていることはなくなった。

予定外の私の洗濯物が勝手にされていることも、乾燥機にかけてはいけないよそ行きが乾燥機にかけられて怒ることもなくなった。

家にある文具や細かい衣類を何度も何度も買い直しては積もることはなくなった。

つけっぱなしのまま寝てしまい無駄にお金が消えてゆくだけのためにテレビカードを買わされることはなくなった。

何かに集中してるときにくだらないことで気分を乱されることはなくなった。

自分がすべて決めて自由にできる時間だけになった。

自分の予想を超えた家の中のトラブルは少なくなった。

心を乱すいやなことを言ってくる人は、家の中にいる限りいない。

私は自由だ。

でも肝心のaさんがいない。さみしい。aさんがいなくて悲しい。全て終わってしまった。なにもなくなってしまった。
また床を水浸しにしてほしいし、洗面所に次行ったら暖房がつけっぱなしになっていないかしら?と少しだけ期待してしまう。

でもそんなことはなくて平和なものだ。
さみしい。