雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

記憶の符合、aさんとのシーン

いつもaさんのことを考えているので、ふと脈絡なく、とあるシーンが思い出される。
それらの記憶は断片なので、蘇ってきたらその記憶を辿り、再現していくと、次々と繋ぎ合わさり再確認している。

 

ふたつの別々に思えた記憶は繋いでいたら連続する出来事だった。

 

2015年12月のこと。
OLをしている友人M経由で、東京都K市のとある事務所へ手伝いに行った。

友人Mとは昔私が携帯電話のキャンペーンをしていた頃知り合い、同じメーカー(日本モトローラー)のダブルキャストだった。なので同時に現場に立ったことはないのだが、なぜか親近感を覚え親しくしていた。
その後Mにも個人的に大変なことがあり海外にしばらく滞在していたり、私も私で面白おかしく暮らしていて何年も会わなかった。

おそらく7、8年のブランクで突然私から2005年のイベントを手伝ってくれと連絡して再び繋がった。Mを派遣?した先へは私自身は本番は不在で、aさんが常駐する現場だった。

aさんにMほか私の友人達女性陣を任せた。

 

その後Mからの話によると、ちょうどその直前母親を亡くして呆然とし引き篭もっていたそうで、突然私からの無謀で強引な誘いだったのだが、無理矢理にでも外にでてイベント現場に出たことで生活を取り戻すきっかけになったのだそうだ。

そしてまた、Mの親はかつて赤坂見附で料亭を経営しており、議員会館から注文を受けたりもしていて、Mは子供の頃から学校から帰ると廊下で◯先生や△先生から頭を撫でられたり(実際名前聞きましたがそれはそれは錚々たる顔ぶれ!)、
海外の土産のブランド物のかばんを母親とM宛に貰ったりと、幼少の頃から大物を見慣れていた暮らしだったと知った。

 

今思うと携帯キャンペーンの頃、
「出がけにお手伝いさんと喧嘩しちゃってさもう」などと言っていたり、
どうも話によると門から玄関までの距離がすごくあるよな…?と思ったり、
女子大では友達の遊びの誘いを断る時「明日は誰それさんの結婚式があってお菓子を投げなきゃいけないからだめなんだ」という慣例をサラッと言っていたことがすべて符合した。

なんで携帯キャンペーンなどやっていたかというと、同級生らは女子大を卒業と同時にお見合いで決まった相手と即結婚コースが一般的で、学生の時はお見合いの状況で話題がもちきりだったそうで、女の子が働く?!などというとそれはあさましいこととして蔑視されたが、Mは興味がなく社会に出たり街場で働いてみたりしたかったのだそうだ。
(いつの時代だよと思うかもしれないがほんの25年程前です)

 

で、2005年のそれ以来Mは自分の仕事先の上司の関係で、どこかでそれ系のイベントがあり会社ぐるみで協賛となると率先して手伝い要員になりあちこちいくようになったのだという。

 

2015年はそういうことでMからの呼び出しだった。

偶然にもMに呼ばれて行った先は、その前年に私も行っていた別イベントで会ったことのある方の事務所だったのだが、事務所内で封入作業をしたり、折ったり貼ったりして楽しく過ごした。
aさんに現地まで送ってもらい、Mに話したら「ぜひaさんも手伝って」となり一緒に作業した。aさんとMも久しぶりの再会だった。2005年からだから10年ぶりか。

その後Mとはこれまた偶然にもA市でバッタリ同じ事務所で再会したりもした。あまり、いやほとんどない偶然だと思う。

 

話が脱線!

 

その作業を、日を空けてまた手伝いに行った時、さあまもなく夕方という時、別の友人Cから入電。
「急遽明日だけでいいから埼玉県A市に来られないか」
というので私はK市の手伝いが終わってその足でaさんとA市に向かい、ドンキホーテで歯ブラシや日焼け止めなど最低限のものを買い、そのままどっかで車中泊

(このパターンだとどこかのスーパー銭湯に行くことが多いがこの時どうだったかどうしても思い出せない)

 

(また、その日なのか別の日なのか帰りに都内の琉球料理に行ったのだが、それも繋がりが思い出せない)

 

翌朝駅で電話の主と合流し、aさんの車に乗ってもらい目的地へ。
そして1日終わって、待っていたaさんの車で帰る、と。

 

K市での楽しい封入作業と、
琉球料理と、
ドンキホーテで買い物した後風呂屋に行ったのかどうかと、
A市での一日の行動。

 

これらがバラバラのシーンで思い出されるのだが、よく集中して辿ると同じ流れの中の二日間だったんだ、とわかった。

 

aさんと私は最初から最後までこんなことばかりの連続だった。行き当たりばったりで16年間過ごした。
場当たり的に16年間暮らし、行き当たりばったりで死んだ。
〝ここいらでいっちょ死んでみるか〟という感じにaさんは死んだ。

 

10日間以上S県のとある市の河原で車中泊して日中活動し、商業施設で朝の洗面身支度をしたこともあって、それは私には楽しかった。
あれは夏だったので河原に停めた車に蚊が入って困ったので、車内に蚊取り線香を焚いて充満させたりしたが、今思うと無知…身体に悪かったと思う。
最終的に、夜中なんとなくその河原が不気味に思えて怖くなり、どっかの路上に場所を移した気がする。

とまあ、
なんのこっちゃ?と思うかもしれないが、わたしにはすごく大事なことで。
本当は詳細に日記をつけておけばよかった。でも今こうして思い出してからでも遅くはない。こうやって記録をしておくんだ。これからも。