雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

初盆二日め

白飯炊き、和え物、煮物を作ってみた。汁椀と漬物は出来合いのもので。

色の綺麗な和菓子も買ってきた。

Aさんにお膳を供えて、同じメニューを少し一緒に食べて、お線香が消えたら下げてそれをまた自分で食べた。

 

そのあとお水と熱いお茶と和菓子を出して、お話ししながらお茶を飲んだ。私の煙草も一本あげた。

Aさんは2018年の入院騒動から煙草は徐々にやめていったけど、時々「それちょっと吸わせてよ〜」と言ってきた。でも一度も吸わせなかった。

と聞くと「それでいいんじゃない」と思うでしょう?…ところが違うんだ。

私が吸わせなかったのはAさんの健康を思ってのことではなかったから。

 

〝その一本を渡すのをケチったから〟

 

(どうせgloマズイとか言って一口二口でやめて無駄にするんだからいい加減にしてほしいもう!)

 

という思いを心に宿していたから。

餓鬼の心が動機だから全然良くない。良くないというのは優等生的倫理的な意味ではなくて、私自身がその発していた思いを自分で知ってるので、自分が今苦しいから。

Aさんが私の動機に気付いていたかどうかは関係なくて、自分で知ってるその時の思いそのものへの後悔があるから。そしてこれは変えられないから。

 

煙草といえばAさんと私はある時からアメスピ(アメリカンスピリット)を揃って吸い出した。アメスピにする前はJTの適当な銘柄だった。少なくとも2011年までは変えてなかったから、その少しあとだったはず。

 

この辺りの裏道を散歩して、小さなパン屋のたばこ売り場でアメスピの販促品をたくさんもらったっけ。隣駅の駅前のたばこ屋さんで、アメスピのキャンペーンにも顔を出したっけ。

 

そのあとアイコスを一緒に買ってアイコスショップに行くのが楽しみだった。Aさんは隣駅のロータリーに犬を散歩にいき、そこのベンチにアイコスを置き忘れて失くしちゃったんだった。

gloはAさんの生家の近くのコンビニで、私は2017年の秋に買ったんだよね。そのあと限定色を専門店でAさん名義で登録したんだよね。

 

最後、プルーム・テックは都心のファミマで、車をちょっと止めて買いに行ってたよね。Tポイントか何かで。

 

それもさんざん失くして、貸してあげて、回収する時もうちょっと貸しててくれよーというゴネる表情をしていた時の顔をよく覚えてる。目に焼きついてる。

私は非情にも取り上げたんだった。その時に心にどんな思いを宿して取り上げたのかも、私はよく知っている。

 

今なら一本こうしてあげることができるのに。もっと、こんなことになる前にそうしておけばよかった。

餓鬼は私自身。

 

「施」ということについて思う。

 

Aさん、お盆だからここにいるの?本当に来ているの?Aさんは私の先祖ではないけど、いてくれてるの?それともいないの?

お通夜も葬儀も読経も49日も何もなかったこと、Aさんにとって良くないことになっているのではない?

49日の法要をされていないから、もしかして初盆は今年じゃないなんてこともある?

 

わからない。 

 

時間が足りない。ここにいるならもっとたくさん話したい。数日間しかないなんて、時間がもったいなくて寝られない。

いるなら行かないで、もう帰らないで。帰るなら連れて行って。

いつもみたいにいつでもどこへでも何時でも迎えに来て。迎えに来て。