雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

8年前の予言

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昔やり取りした知人とのsnsメッセージを掘り起こしてみた。2008年の会話だった。

(aさんと暮らして4年後)

 

メッセージで触れられている将来くるかもしれない〝もしも〟はaさんの突然死という形でこのメールから12年後に起きたわけだけど、

 

2008年の時点やどこかの時点で離れることなんて、やはり出来なかったと思う。


そしてこのメッセージの通りになった。

 

この16年の間には何度か、私の懐具合が明日食う米もないほどに困窮したことがあり、そんな余裕のない状況から口論に発展したり、追い詰められた気分になり窮地のなかで塩撒いて追い出したこともあった。(←実際玄関から塩撒いた)

でも、数日で戻ってきてくれた。

 

親との関係をうまく作れなかった私は、aさんと関わり、aさんの知恵や話に触れたり吸収したいと思うなかで、親との関係を〝やり直し〟していたと思う。
代償行為で埋めようとしていたからしがみついていたのは私の方で、
「よくやってたよ」と言われるようなものではないことは私が一番知っている。

 

この他にも過去のメッセをざっと眺めていたら、やり取りしていたなかでわかる範囲では二人亡くなっている。

 

一人はaさんを兄貴と慕っていた後輩(?)で私も親しくしてもらっていた。私とaさんはその人のお母様が所有するアパートの空室に泊まり込んで、その人の活動の手伝いをさせてもらった時期がある。
もう十数年前のこと。

 

もう一人は私のピアノの師匠で、先生と呼んでいた人。

青い三角定規の楽曲にコードづけをしていた作曲家で、晩年はクラブピアニストをしていた。そこで知り合った。
引退後地方に移られたので、aさんと遊びに行き泊めてもらってお鍋を囲んだことがある。

 

雪深い長野県なのにセダンのノーマルタイヤで行ったものだから、家の前で滑ってハマって大変なことになった。
結婚を4回もした人でモダンなおじいさんだった。その年齢で東京芸大作曲科を出ている稀有な人だった。

 

取り残されていくのは悲しい。

ついにはaさんすら死んで、何もかも終わってしまった。私には全部なくなってしまった。

 


このメッセージで警告された通りの顛末になってしまった。でも、こうすることしかできなかった。


ふと思うのだけど、

 

「神様もう一度時を戻してやり直しさせて下さい。今度は長生きしてもらうようにするし、亡くなってもこんな形での後悔をしないような向き合いかたをするので」

 

と念じて、それが叶って、何回目かを繰り返して、今はその何回目かの結果を迎えた最中で、私は何度更新しても結局こうにしかならないものを繰り返しているんじゃないか?

と考えることがある。