雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

古城

昨夜から一週間の出張にきているのだが、今日行動を共にしたおじさんが会話の中で、「自分は歌が得意でNHKのど自慢大会で鐘みっつ鳴らしたことがある。プロの歌手からも誘われたことがある」等々話をしていた。

のど自慢で何を披露したのか?

三橋美智也の「古城」だと言う。

 

古城

(私は三橋美智也では哀愁列車も好きだが古城も好き。でも民謡出身の三橋美智也の歌で鐘みっつとはなかやかやる)

 

古城と聞いて即座に思った。

あれは多分去年のこと。

上野駅近くに「古城」という純喫茶がある。

地下一階。昭和38年創業でお城の雰囲気、ステンドグラス、豪華で高機能な古いエレクトーン、シャンデリア。

ずっと行ってみたかった古城に、多分去年 Aさんと初めて入った。性格的に具体的な日付を思い出したいところだけど思い出せない…日記をまめにつけておくべきだったなと思う。

でも多分夏?で、どこかから二人で電車で永寿病院にきて、Aさんはそのまま永寿に入院(戻る)になる時で、その前に古城に立ち寄ったという経緯のはず。

とすると5月末くらいの可能性が高いかもしれない。

 

永寿退院間際、地元で透析を受け入れてくれるクリニックに面談するため永寿を外出し、面談し、永寿に戻る…そんな日が確かあった。

戻る時間ぎりぎりまで、古城へ寄ったり近くのお店に寄ったりして過ごした、あの日だったかもしれない。

 

でも記憶違いのような気もする。地元のクリニックで面談した後、私は自分の家に、Aさんは電車で永寿にそれぞれ戻ったような気もしないでもないのであやふや。

なんとかこのへんを正確に思い出したいのだけどどうしようか…

 

古城の洒落た店内の写真を撮った記録を見ればわかるのだが、2月にスマホのデータが飛んでしまい残っていない。すごく残念なこと。杜撰な性格が恨めしい。

 

 

Aさんは昔行ったことがあるそうだけど行きたいと言うわたしに付き合ってくれた。

地下への階段を降りて店内へ。少し進んですぐ左側に奥まったスペースの、一番手前のボックス席に私たちは座った。

私が通路側、Aさんは奥まった側に。

私はコーヒーが苦手なのでアイスティーと何か軽食を。Aさんはコーヒーを注文したと思う。

途中店内を歩き回って、大きな古いエレクトーンの写真などを撮った。

 

古城/歌詞、意味(参照)

http://www.worldfolksong.com/sp/songbook/japan/kojo.html

 

三橋美智也の歌の古城と上野純喫茶の古城とでは世界観は違うのだけれど、

Aさんとそういう状況のなか行ったことと、そのAさんが急死したことと、それにまつわる後悔が過去に遡りあちこちの判断の点上にある私は、そのふたつとはまた違う「古城」の感情が記憶されていて。

 

どちらにしろ、もう上野の古城には入れない感覚になってしまった。

永寿に行くたびに横目に眺めていたことを思えば、一度行っておいて良かったのかもしれないけど。

 

行けなくなった町、なるべくなら近づかずにいたい場所、私にはそういうところが一気に増えてしまった。

人によっては逆に思い出となって行きたい大事な場所になると聞くこともあるので、性格的な問題なのだろうか?

f:id:azurazul:20200712225407p:image