雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

築地本願寺・カンブリア宮殿を見て

カンブリア宮殿

築地本願寺2020夏の改革/8/6放送

 

コロナウィルス感染拡大による自粛からオンライン法要を始めたそうで、機器のない人にはPCの貸し出しまである。

法要のLive中継も本格的。解説の字幕も入りまるでテレビ局の中継のよう。スイッチャーもカメラマンもすべて僧侶が担当しているそうです。

また結婚相談所の機能まであり相談者の間に入って結婚を取り持つそう。昔はお寺は地域コミュニティの中心で寺が取り持つ縁もあったから、と。

首脳部との会議もオンライン。攻めの経営改革の話などもしていた。

築地本願寺内にはビハーラという組織があって、終末期を迎えた人の心のケアや末期癌患者の家族との交流、不安や悩みを聞いて寄り添っているそう。ビハーラ僧という僧もいる。

上階に老人ホーム、下の階にビハーラ僧が常駐する施設も計画しているそう。死んでからお寺にお世話になるのではなく生きているうちに苦をお坊さんと分かち合って安心する事。仏教の教えに基づき、死が身近にあるという認識をもち今日という日を生き抜くことが大事、と。

 

築地本願寺浄土真宗ですよね。

 

私は母方の祖父祖母のお墓がうちの近所の真宗のお寺さんにあって、子供の頃法要のさいにお寺さんの「御斎(おとき)」に何回か行ったことがある。御斎の意味も今の今まで全く知らず、今こうして思い返していて調べた。子供の頃は単なる食事振る舞い、会食だと思って楽しく参加していた。

 

そこのお墓には母方の祖父祖母の二人が入っているので「母方は真宗なんだ」と漠然と思っていたものの、そこのお寺さんに決めた経緯を聞いたらそれもあやしくなってきた。

当時母の姉(私の叔母)が取り仕切って病院からお寺さんから何から決めていたそうで、叔母の職場の誰それさんに知恵をもらい、立地や条件などでそこにお墓を買うことに決めたのだそう。

つまり宗派をどこにするか?については優先順位下位か、考えていなかった可能性もある。

ちなみに子供の頃私は、「戒名というものは◯◯院釋◯◯◯大姉(居士)」という構成なのだと思い込んでいた。釋が入るのは真宗独特の構成なのだそうです。

 

最近謄本を取って祖父や祖母などのことを調べているが、みんな、私が実家、故郷と思い込んでいるその市に来たのはわりと近年の話で、祖父も祖母もこの市には結婚後移り住んで来たということが判明した。ちなみに父方のほうも同じ感じで、出身地は埼玉県深谷市らしい。
母方の祖父は東京市芝區宇田川町。現在の芝大門とか浜松町の一部です。
今までざっとした印象で「先祖代々この地、この宗派」みたいな固定観念があったけれど、そういうことでもなさそうだった。聞けば今のようなお墓のシステムが始まったのもわりと近代のことらしいし・・・
でも知り合いの家系は大きな敷地のお墓だそうで、何代前からの名前が刻まれて、スペースが足りないぶんは横の別の石に、なんていう感じらしい。みんなそういうものなのかと思っていたので、祖父祖母の名前しか刻まれていないことが疑問だった。
そうか・・・じゃあ私はそれ以前のご先祖様のお墓がどこにあるのかは、もう知ることはできないんだ。そんなものなのかな・・・どうなんだろう。

父方の祖父祖母が入っているお墓のお寺さんは、やはり地元にあって、曹洞宗の寺院。
私が子供の頃はわりと短期スパン?で法要の機会があったが、もう・・・どうだろう、かれこれ最低でも16年以上は法要がない。(ない?のかウチが参加していないだけなのか不明)
しかも父親が親族とのいさかいでほとほと嫌気がさし、まったく関わらなくなってしまった。数年前に父の兄が亡くなったそうだが私はそのことも後から聞かされたし、葬儀にもウチは関わっていないらしい。数年前、父にナイショで単独で墓参した時、暮石に伯父の名前が刻まれていてビックリした。
父の妹の家が出て来て、土地から何から一切持って行き、亡くなった兄が晩年結婚した妻をも追い出し、相当な騒動があったのだそうだ。父はそれでイヤになり不信になり、そのついでに「墓にも一切関わるなよ」と今も言ってる。
一応この苗字での跡取りは唯一私なのだけど、どういうことになるのだろう・・・まあそれも私の代で途絶えることになるんだけども。

ひとまず曹洞宗の寺院なのだけど、祖父祖母もこの地に来たのは結婚後転々とした後だし、この寺院も住まいの近くだからという立地で選んだのかもしれない。



4月に亡くなったAさんのおうちも浄土真宗のお寺さんにお墓を持っていて、Aさんの両親もそこに入っている。(でもお寺さんとの付き合いはそれほどないらしい)

Aさんはそことは別に心を寄せていた宗派があって、本人が以前その話を私にしていたので、息子さんに言ってそこにも分骨をした。ちなみに納骨はどちらもまだで、浄土真宗法名もまだ頂いていないが、分骨したほうのお寺では戒名をつけてしまった。
戒名がふたつ・・・?どうなの?私はよく知らないけど、どうなのでしょう。

ふと、もしかして、真宗のほうで法名をもらわないつもり・・・とか?可能性ある?

わからない。

私は私でAさんのお位牌を作るつもりなので、今は「戒名決定待ち」状態。
簡易的な仏壇(・・とも呼べないような・・・箱)とお位牌本体などを、でかけるたびにあちこちのお店で見て歩いて悩んでいるところです。

しかし私が普段、新しく知って教えてもらいながらようやく見よう見まねで読んでいるお経などは真宗のものでもなく、分骨したほうの宗派(新宗教的な)のものでもなくて、真言宗のもの(天台読みに変えたりもする)。

Aさんは初盆になるけど息子さんのところではやらないと思う。
かといって私も、正確にはA家の者ではないから迎え火とかそういうのはどうなのか・・・Aさんは私と一緒に16年間住んでいたけど、初盆のちょうちんはどうなるのか。
ここでおこなうのはちょっと違うのか?どうなのか。

Aさん、今どこにいるの?
帰ってきて。私にまたいろんなこと教えて。
こうして居間にいて、せっかくいるのに特に話もせず、ただ居るだけでそれで良かったふうに、居てほしい。