雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

初めて経験したお盆について

お盆という文化、習慣にこれまで私はまったく馴染みがなかった。

育った家でも、お盆休み=世間は行楽するもの、であり、夏休み中、何か別のことをやる人たちもなかにはいるらしいけど?という他人事行事だった。

気まぐれにお墓参りに行くこともあったが、日にちも大まかでデタラメだったと思う。

大人になってからもそんな認識で周りにもお盆を中心とした行動をしている仲間がいなかった。いたのかもしれないが、何しろ認識外のことだったので私のアンテナにひっかることがなく、気づき逃してきた可能性も。

「お盆で忙しい」「何かとやることが」なども大義名分と思っていたし、

お墓参りに行くことの何がそんなに大変なの?遠いのかな?程度にしか思わなかった。

 

なんと実際、日にちが7/13〜16、または8/13〜16だと初めて知ったのはつい先月のことだったという…!お盆がいつか?も知らなかった。

漫然と過ごす365日のなかの単なる1日という位置付けだった。

日程は毎年変わるのかな?13-16というのは今年の場合かな?なんて疑問も浮かんだりする。

 

そんななか今年、生まれて初めてお盆というものを強烈に意識して過ごした。知識も経験もなかったので果たして正しくできたのかはあやしいもの。

しかも4月に亡くなったAさんとは16年間一緒に暮らしていたとはいえ、お盆の基本「私の先祖」ではないのです。

この家に迎えようと思うことは行動としてあっているのか?迎える気満々で支度してもここに帰ってきてくれるものだろうか?

先祖という観点から、疎遠で一緒に住んでいなかったとはいえ子孫たちの家に行くものではないのか?

 

ということはだ、私は私の先祖に対するお盆を迎えるのが当たり前で、あれ?でも仏壇も位牌もここにはないよ?その場合仏壇のある親戚の家に行くのかな?それとも仏壇位牌のあるなしに関わらず、各自の家でおこなって良いものなのかな??

 

などなど疑問と不安に思うことは多々あるなか、やはり共に暮らしてきた一番身近な家族であり、私の人生にもっとも影響を与えたかけがえのない人という思いがあるので、Aさんのお盆をここでおこないました。

 

16日は月命日でもあり。

たったの4ヶ月前までAさんは生きてここにいた。今は祭壇になっているこのテーブルの横で座ってテレビを見ていた。お供えに使うこのコップでお茶を飲んでいた。

いつもチャンネルをcsにしたままテレビを切るので次につける時「もうまた!」と思わされた。

お供えした水をくむこの蒸留水器を、中途半端に動かしてよく床一面を水浸しにしていた。

ごちそうをお供えしたけれども、歯がなかったから何を食べても「固い!まずい」と言って怒っていた。

 

私は人一倍鈍くて、変な感覚がわかるとか何もなく、さすがにわかるでしょ?!と思われるような不気味なところに行ってもまるで何もわからない鈍感者。

そんなんだからお盆中も〝帰ってきてくれてここにいるな〟なんてまるきりわからなかったし、半信半疑のまま〝いるもの〟と頭だけで考えて過ごした。疑って検証に明け暮れる間はなく、たったの数日で終わってしまうので、とにかく疑問に思おうがわからなかろうが、「いる」前提にした。

 

今日16日は夕方に去ってしまうのでしょう?と思って、とにかくやたらめったらと食事をだし→下げ→お菓子をだし→下げ→コーヒーをだし→下げ、あれも欲しいかな?これも欲しいかな?今日最後だからあれもこれもそれも…

と、とにかくたくさん食べてもらって喜んでもらって…「おーこれ作ったのかー」と褒めてもらいたくて…

また褒めてもらいたくていろんなものを出した。

 

「褒めてもらいたくて」

 

私のことを何か褒めてくれたり、やることを認めてくれたり、やった結果を共に喜んだり振り返ったり、悔しい気持ちややりきれない気持ちに共感して共に怒ってくれたり、時に私以上に憤慨してくれたり、

したのはAさんだけだった。

他にいない。Aさんだけだった。

私を見て、私のことを見て、褒めてくれたのはAさんだけだった。

 

貶されたり、軽蔑されたり、罵倒もされたので、当時は嫌でたまらなかったけど、そんなことより「褒めてくれたこと」の貴重さが今は際立って感じられる。

 

そうだ・・・そういうことだ・・・

「Aさんを労って喜んでもらうおもてなし」ではなくて、「ねえ見て見て!あのね、あのね」と、学芸会に来てもらって披露して見てもらって私が褒めてもらう…

 

そんなお盆だったのかと振り返って思います。つまり前回も書いたように餓鬼の件。

お昼を過ぎたあたりから〝もう残り時間が少ない〟と焦って、あれもこれも出して…何時までいてくれるのだろう?と考えると1分も無駄にできなくなってお経と真言をいつもより長く唱えて…自宅でやる施餓鬼も、正確には1日オーバーしてしまってるけどやって…

鉛筆で書くと灰に文字が浮き出るというお香にAさんへの言いたいことを書きました。

「ずっと一緒にいてね」というようなことを書いてしまいました。きっといけないのだろうなと思いつつ…

お別れしたくない、また離れたくない、また行ってしまう、また失ってしまう。

 

そんな夕方になりました。

 

その後少し眠って0時前に目が覚めると、今まで〝帰ってきてここにいる〟などはまるでわからなかったのに、

何となしに、もういなくなっちゃったんだなという感じだけがしました。

 

 

はじめて経験したお盆でしたが、二度失ってしまった気持ちと、何度も何度も失い続ける、ずっと失い続けるのだ、という感覚を知り、お盆て辛いものだなという思いにとらわれています。

また早くお盆がきて、また会える日がきてほしい。けど、お盆に終わりが来てまた行ってしまう思いはしたくない。

 

というような思いをする方はいませんか?

どう考えていけば良いのでしょうか。