雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

命を左右したのではないか

今週、日中一緒に行動している目上のおじさんはとても話好きで、口から生まれてきたんじゃないかというくらいらとにかく喋りまくる。

セスナを所有しているとか、スカウトされてこういう仕事に就いたことがあるとか、のど自慢で鐘3つ鳴らしてその後の本大会でも優勝したとか、どこそこの誰それが○大学だとか息子が医師だとか、あそこの誰々(肩書きのすごい人)は俺の同級生だとか、俺も一歩間違っていたら政治の世界に入っていた、とか、家にはジャグジーがあるとか、

とにかくずっと喋っている。

返事しなくてもお構いなく話し続けてくる。

 

たまにこちらが話題を転換したり何か質問しても、その話は一往復もせず〝自分の自慢に関する返し〟で返答がくる。

 

こりゃダメダ

 

と思って適当にしていたのだけど、それでも少し思うところがあった。

 

4月に亡くなったAさんはこの人とは全然違うけれども、だけれども〝対する私自身の問題〟に抜粋して思うところはあって、

私はこの人に今しているように〝テキトーにあしらう〟という対応をAさんにしていた、してきていた。特にここ数年はそうだった。

 

よく話す、ちゃんと聞く、説明をする、求める、理解する、求める、という手間と面倒をすっ飛ばし、「どうせたいしたことにならない」と軽く見てその場はナァナァでなんとなく問題なく過ぎ去るような形でテキトーに受け流してきた関わりが、ここ数年頻繁にあったのではないか。

むしろ、その比重の方が関わりの中で多めになっていたのではないか。

 

そこに「余裕はある。いつでも聞ける(挽回、やり直しができる)。いつもいる人だから」というつもりがあった。

 

面倒でも、言い合いに発展して嫌な気分になることが予測できても、問題回避だけの関係になどせずよくよく関わり向き合うべきだった。そうするべきだった。

 

私がそんな関わり方に変わってしまって、時折反省して変えようと思うような気づきはあったけれどすぐ衝突の気配に萎えてやめてしまって、じきにテキトーな対応が定着しつつあったから、

Aさんと私の関係性にこれ以上の学びや発展はもうない、となり、寿命がきてしまったのではないか…

というような後悔がある。

 

私がきちんと関係性を尊重して向き合っていれば、神?運命?天?は、「伸び代がある」と見做してまだまだAさんは生きてここにいてくれたのではないのか?

(寿命に関しての疑問、別の着目点もあるのでそれは別の時に。今は頭が整理できていない)