宝篋院塔を見ました
今日は嗚咽が止まらなくてくるしい。
出張が続いてホテル暮らしなのだけど。
日中も仕事していても頭から離れていることなんてないのだけど。
どこを回っていてもAさんの面影が必ずつきまとう場所ばかりだし、ノーテンキなやり取りしてる人たちの隣で、私は異邦人のように空気の読めない人となって、
無反応なハニワみたいにそこにいるしかないのだけれど、心は常に一触即発。
ホテルの部屋に帰ってきて声を漏らしてしまう。
大きな鏡が一面にあるのでいやでも自分の顔を見てしまうのだけど、Aさんが死んでから私は自分の顔をほとんど見ていない。鏡を見るのが嫌で。今も、こうして見ても自分のように思えない。誰か知らない人が映っているみたい。
いや、顔だとか鏡だとかそんなことはどうでもよくて、ああそういえばAさんは死んでしまってもうこの世にいないんだ。
そのことを忘れているような意識と、
決して忘れさせてくれない意識と、両方が混在していてよくわからない。
忘れさせてくれる意識があるなら一見良さそうなものだけど、実際忘れてる瞬間などない。
それなのに改めて思い知らされる時がある、これはどういうことなのだろうか?
今日は偶然、天台宗の栄福寺というお寺さんに通りがかり立ち寄った。
茅葺き屋根を去年全面改修したそうだ。
昨日はまた偶然、真言宗の松虫寺というお寺さん(神社も)に立ち寄った。
初めて宝篋院塔を見た。
この市には天台宗の寺院が多いそうです。