雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

出張帰り

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Aさんは今から2年前、2018年初頭からいきなり入退院を繰り返すようになった。

そもそも2017年秋にAさんの父親が90代で亡くなり、年が明け2018年に今度はAさんが10メートルも連続で歩けないという目に見えた不調があらわれおかしいと思った私は、最初日医大に連れて行った。

すると「以前永寿総合病院でステントを入れている記録があるので永寿に行くように」と言われ、結局即永寿への入院になった。

 

そこから2.3ヶ月入院〜しばらく在宅〜また入院、という感じを繰り返し、

最後に退院したのは2019年5月頃だった。

 

何度目かの永寿のとき私は病室でAさんと過ごしていると細くなった脚、スネを見せて

 

「ほら見てくれよ、いやだなーすっかり老人の脚だよ、ああいやだいやだ笑」

 

と言うので、

 

「わ!ほんとだこりゃすっかり年寄りの脚だわー」と返したら、

 

「おまえはー!普通〝そんなことないよ〟とか、おまえはそう言う係だろぉー」

 

と笑いながら言われた。

とてもよく覚えている。

 

Aさんはひょうきんなところがあった。トンチもきくし頭がとても良かった。会話の読み方やテンポも解釈も、とても。

 

そんなAさんに人生の影響を受けたかった。もっとずっと受けていたかった。私一人だともうすぐにでも凝り固まってしまう。

 

私は出張がおわって家に帰ってきたけれど、行く前となんにも変わっていないみたい。

 

Aさんがもうここにいないだなんて。

 

出張中、たまたま上野駅近辺でフリーな時間ができた時、永寿まで一周歩いてみた。

上野駅から永寿まで向かう道、

永寿から上野駅まで帰る道。

同じ道なのに往路と復路に心に宿す思いは違うもの。私はまた、あの時と同じ道を選んで辿ってみた。脇道のガードレールにAさんによく似た姿形の人が寄りかかっていたので、懐かしくて近づいてみたりした。

 

すぐ、ここにいるような気がするしいないほうが何か間違っているし、永寿の5階のあの窓あたりに、Aさんと私は確かに過ごした。

窓から見下ろした外の道の、今そこに立って5階の窓を見上げた。その5階に私とAさんがいるといいな、と思った。

 

向かい側の処方箋薬局には、ほうじ茶などの給湯器があるそうで、Aさんはそれを時々飲むのが好きだった、と、入院仲間のかたから聞いた。

そうなんだね。

Aさんのことを、まだまだもっと知りたいし本人から話を聞きたかった。

 

この出張は果たして務まるのか不安だったし、務まったかどうか結局わからないけれど、Aさんとの日々を訪ねる旅のようなものでもあった。

 

Aさんがここにいないだなんて。

 

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