苦しくて、無視できているつもりで
16年間、aさんが私の人生にいるのが当たり前だったから、普段
「aさんはいるのだ」
などとその存在をいちいち噛みしめたりはしてこなかった。
日付変更線の退屈な繰り返しの日常のなか、その延長戦上で、突然ある地点でaさんは死んでしまって、
お別れも言ってないし言われてないし、笑顔を向けてもいないし特別な言葉をかけ合ったわけでもないし、ありがとうも何も言ってないし、不満や文句やスルーといった馴れ合いの態度をしているうちに突然二度と会えない境界線の向こうへ消えてしまった。
あの時からは、
「aさんはずっともういないんだ」
といつも痛感させられる。
同時にそれに反するように
「aさんはいるかもしれない」
勘違いであってほしいと思うことをやめられない。
4月16日から私は二階に上がることができなくなって今も居間のソファだけで暮らしているのだけど、
二階に上がったらaさんがいるのが当たり前で、もし今二階に上がったら「ここにいるものだ」という意識に一瞬なってしまって、でも実はいなくて、
もういない、ずっとこれからもいない
ことを認めさせられることが推測されるから二階に上がれない。
1日前までは魂がここにあって私のことも認識していてこの人の思考もあって意思の交流があった。
1時間前もそうだった。16年間そうだった。
でも、ある一点を超えただけのことで全部切断さてれシャットダウン。
引き返したり戻ってくることがない。
死ぬって、死って、何だろう?
心電図の波形とちょうど同じ感じで不思議でちょっと理解できない。