雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

Aさん、帰ろう

今日も業務を終えてふと我に返った。夜が賑やかなほど、Aさんがいなくなった世界の迫る感じが際立つ。

ここにAさんがいてもおかしくなかった。わずか4年前は町田駅のこの場所、ちょうどこの柱のすぐ後ろでAさんと犬と、今日のこのようにして立った。その追体験をしたくて、Aさんではないけれど違う人を呼び寄せていた。4年前と同じ場所に、同じ状況で立ってみたらもしかしたらタイムトラベルなんかして同じ地点の空間の扉が開いてAさんがワープして来られるんじゃないか?という気もしたけれど、そんなことは起こらなかった。

 

新宿駅で私は解放されて、もう帰ってもよかったのだけどしばらく人波を眺めてみた。ここにAさんと私がいてもおかしくなかったから、そんな空想をしながら色々なパターンを頭の中に並べた。

でもやっぱりAさんはいなくて、一人で赤坂のホテルに帰る。帰ることになる虚しさは同じなのに、しばらく新宿のさっきまであった熱気を見ていて、見ていると悲しいのに見るのをやめられなくて、無意味に居続けてみてから地下鉄の方に歩いた。

歩いているとき、小声で口をついて

 

「帰ろうね、帰ろう。Aさん、帰ろ」

 

と呼びかけていた。一旦口にしてみたら「Aさん、さあ帰ろう!」と誘う思いが増幅して止められなかった。帰る、といっても、

赤坂のホテルのことではなくて、

現場から立ち去るということでもなくて、

自宅のことでもなくて、

それ以外のどこかということでもなくて、Aさんのいるところでも私のいるところでもなくて、場所なのか時間なのか時代なのかでもなくて、Aさんと私とがどこかで待ち合わせてからさぁ一番良いところに行こう、戻ろう、というような感覚での「帰ろう」という感じ。

 

説明しようにもよくわからないのだけど、早くさあ帰ろう、帰ろうよぉ!というふうにねだる感情が溢れてきてブツブツと声に出して唱えていた。

そのうち、そのどこか?にAさんと帰れるのだろうか。

 

 

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