命が簡単に消えてしまうこと
羽田雄一郎議員のsnsには4日前の投稿がある。4日前、自身で画面に向かって投稿していた人の命が、4日後の今はこの世にない。
この不思議さはaさんの突然死の後ずっと感じている。
aさんはこの前の4月、朝、部屋でいきなり死んでいた。
昨夜確かに生きていて洗濯物を干したaさんの命が朝には消えていて、肉体はここにあるけど空っぽになっていて、
夕べ干された洗濯物があって、
それはaさんが確かに干したもので。
しかしaさんの生命はこの世からいなくなっていて。
不思議すぎて頭が追いつかない。
本日12月28日はおそらくaさんの誕生日。
おそらく、というのは、aさんの父親がなかなか出生届を出さず忘れたまま長いこと経ち、ようやく提出したときに日付を間違えて提出した為、戸籍上では1月となっているから。
それ以上に問題なのは、12月と1月のなかの数日の違いに留まらず、なんと生年のほうも一年の誤りがあるまま提出したこと。
結果的にaさんは、学齢まで本来であれば1年先なのに、1年早く就学することになってしまったのだそうだ。
身体の大きさの点でも同級生に遅れを取ることとなり(当たり前か)、母親はそのことで父親を一生責めていたそうだ。
で、「では12月28日が誕生日なんだね」で解決するかといえばそうでもなさそうで、あくまでも母親からの口伝に過ぎないという点と、aさん自身がこのことにまったくこだわりがなく、日にちも年もどうだっていいやい!というタイプで興味もなかった人なので、
1228という数字も伝言ゲームのように改竄してしまっている可能性もあるから。
だから本当の誕生日でお祝いをできているのかどうかわからない。
けど今日はケーキを供えてみました。
お花もユリの花が一対あるよ。
でも…
去年の誕生日はどうだったか
なにも、なーんにもしなかったんだ。
この16年間、誕生日だからといって取り立ててなんにもしなかった。
こんなふうに、死んでしまってからケーキを置いてみたって花を挿してみたって、しょうもない。
生きて、ここにいて、私の人生にいてくれたあの時に、なぜ一緒の時間を大切にしなかったのだろう。
死んで、
お花を絶やさないようにしたり、好きそうなお菓子を備えたり白飯を供えたりするならば、
なんで、生きて、この家にいて、毎日顔を見て、私の人生とaさんの人生が共にあったときに好きなものを食べてもらいたいと思わなかったのだろう。
そうしてこなかったのだろう。
16年間も時間があったというのに。
16年間も時間があったのに、
優しい言葉をかけもしなかった。
好きなものはなんだろう?と考えたりすることもなかった。
いつでも聞けるやと思って、話を聞くことも後回しにした。
もっと聞きたいことがあるし教えて欲しいことがたくさんある。
でも私がそんなふうにしてる間に、16年間も先送りしてるまに死んでしまって、
二度と会えなくなってしまった。
お誕生日おめでとう。
戻ってきてほしいよ。