雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

濃厚接触

厚労省接触確認アプリcocoa

うちの大家さんがこのアプリを入れているらしく、とうとう濃厚接触通知が来た。

 

ということで私は、

〝濃厚接触者 の 濃厚接触者〟

 

でも接触のあった日付は通知によると7月31日とのこと。今日は8/10だから十日経ってる。

3、4月ごろはかかると十日ほどでもう死んでしまうような事態になっていたけど、最近は陽性者数は激増しているけど「みるみるうちに死んでしまう」というようなイメージではない。

 

6月と7月に出張の仕事で私は密どころじゃない高リスクな環境に身を置いていたのだけれど、

参加を決めた後に覚悟もしたのだけど、結局それらしいことにはならなかった。体調を崩しもしなかった。

蕁麻疹が発生し出張中ずっと続いていたが全て終わったら消えた、その程度の不調だった。

 

ちょっと〝感染しても仕方ない〟とも思っていたけど多分感染しなかった(と思う)。

しかしあの行動環境で感染しなかったとしたら、これは余程のことでは感染しないんじゃ?とも思った。してて突然のような環境だったから。

 

接触通知がきた大家さんは、そりゃ濃厚接触も時間の問題だよね、という職種の人。

そして本人の予防の仕方も甘い。(イソジンがないからリステリンすれば安心!説の考案実践者である)

 

かかると十日でみるみる死んでしまう感じのものとは変わってきているみたいだけど、

そして苦しくてたまらないらしい肺炎苦の容態は嫌だけど、

でも今ならかかってもいい、というふうにも思ったりする。大義名分で、他力本願で、もしあの世で待っててくれているAさんとまた過ごせるのなら。

痛いとか苦しいとかは怖いし、いざその時を迎えたら後悔するのかもしれないけど。

 

Aさんは4月16日に亡くなったので、岡江久美子の件を知らない。アベノマスクが届いたことも知らない。Gotoキャンペーンが色々言われていることも知らない。イソジン発言も知らない。

 

知ってたらテレビを見ながらネチネチと文句垂れて政治談議をしていただろう。あれを聞かされていた時は耳を塞ぎたかったが、社会を知るきっかけはAさんの雑談からということも多かったし、知識も豊富でモノの見方もアテになる人だったので、Aさんの話を聞きかじって私はよそで使ったりもしていた。

また、「もううるさいなあ」と思いながら、Aさんのテレビに垂れる文句を不快に思いながら暮らしたい。

またあの耳障りな長々とした文句とか議論を聞きながらマズイ飯を食いたい。

 

何か楽しいことや綺麗な行動をしたいんじゃなくて、AさんらしいAさんがいつもここにいるのが当たり前なのだから、それが当たり前じゃないことのほうがおかしい。