雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

命があった時となくなった時と、日常と

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2020年4月16日の早朝。

 

その一ヶ月ほど前から私は、朝5時や6時などに玄関先に来るノラ猫のグレーちゃんに朝ごはんをあげる習慣があった。

グレーちゃんは夜はうちの側面の二階と一階の間の軒下(?)で寝ているようで、明け方になるとドーン!バーン!と音を立てて地上に降りるので、その音を合図に玄関を開けると、

「メシだあ」とやってきて足元でゴロンゴロンする。

 

4月16日の早朝もそうして庭先でエサをあげた。

 

その時、軒下から垂れ下がっている小さなクモを見つけ、私は大のクモ嫌いなので恐怖におののいた。〝いやだぁ、もうまたそんな季節になったなぁ〟と心に思ったりなどした。

まだエサを食べているグレーちゃんを見つつ玄関に入り、二階に上がり、「今朝のエサやり完了完了」などと思った。

 

そんな、いつもの行動をしていた。私の隣の部屋では Aさんの命が絶えていたのを私は知らなかった。

クモを見つけた時も、猫の餌の容器を手に取っていた時も、Aさんの生命と意識はこの世からもうなくなくなっていたとは知らなかった。