雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

半月型木片の占い

6月中旬からの出張がひと段落して。

やはり気づくと検索窓には「死んだ人に会う方法」「人は死んだらどうなるか」「死後の世界とは」「亡くなった人に会いたい」「亡くなった人との会話」
というようなワードを入れては読む、という過ごし方をしています。
何をしていても気晴らしや気を紛らわすことにはならないし、そもそも気晴らしがしたいわけではなくてAさんに会いたいよ、ただそれだけ。

でも無理なんですよね、もうきっと。

先日お寺さんに寄って、御本堂の前に説明書きのあった卦?のようなものをやってきました。
一対の半月型の木片を合わせて手の中に収め、願い事や思うことを心に浮かべて木片を落とし、ふたつの木片がどのような角度で地面に転がったかで、叶う・叶わない・答えない(無言)、がわかるというものでした。
これは3回繰り返しても良く、バラバラの答えがでることもあるわけです。

私はやる前からうっすらと自分のこういう時の今までのパターンでわかっていましたが、結果案の定3回とも「叶わない」と出ました。(私だいたいこういうのやるとそうなるんですよね見事なほどに)

心に浮かべた思いは、
"Aさんは亡くなっても私と一緒にいてくれるでしょうか。会えるでしょうか"
でした。

3回とも答えは「叶わない」でした。
Aさんがいないことも心の底ではまだまだ理解したくなくて、でも頭ではわかっていて、じゃあ霊でもいいからそばにいる時間がほしいと思っても叶わないみたいで。

時間が長いです。自分の意識が続いている人生の時間が途方もなく長い。