雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

会いたい気持ちの中身、いろいろ

またシェア記事ですが。

f:id:azurazul:20200727150230j:image

https://kokoro-movie.com/2020/07/25/post-24646/

Aさんがいなくなってしまって会えないのが悲しい、ということだけどその「会えなくて悲しい」の奥にも言葉にしきれない思いがあって、それがうまく表せない。

そのなかにこういう思いもあるなと思う。

Aさんの〝楽しい、嬉しい、悲しい〟に寄り添うことがもうできなくて、Aさんはもう〝楽しい、嬉しい、悲しい〟を発信しなくて存在しなくて。

では生きてそばに毎日いた時にそれらに寄り添っていたか?というとまったく寄り添っていなくて、むしろ意地を張ったりエゴを優先して反発するような態度ばかりをとっていたこと。

今ならこんなにも寄り添いたいのに遅いこと。

死んでしまったらやり取りがきかないこと、取り返しがつかないこと。