雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

2年前の今頃は軽井沢へ

2年前の今頃、母(今も健在です)と日帰りで軽井沢に行く為、東京駅で待ち合わせました。


8時40分→9時50分着のはずが座席不揃いのため8時36分→9時42分に乗る。

万平ホテルカフェテラス12時。アウトレット14時半。17時40分→18時52分東京着。(以上母のメモから)


この日の朝、私はAさんと家を出発して東京駅でわかれ、Aさんはその後都内の病院に向かいました。

東京駅についた時間は母との待ち合わせには少し早かったので、駅構内でAさんとお茶を飲み時間を潰し、時間がきたので構内を歩き、「じゃあそろそろね」と手を振ってAさんが遠ざかって行く背中ををしばらく見送っていました。

その場面をいつのまにか現れた母がジーっと見ていて振り返ると目が合い「あれは誰」のような会話になったことを思い出します。


ちょうどこの頃から私はよく「じゃあね」と去って行くAさんの背中を見送る習慣が始まっていたと思います。

早朝のガレージから。私の仕事先から。待ち合わせた場所から。見送られた改札から。

だいたい私が見送る場合は遠ざかって行くリュックとキャップを眺めながら、あーもうすぐ視界から消えちゃうと思いながら、
「あと10年も20年もこの状況が続くわけじゃないんだ」という焦りが湧いてきて自分のおこないを見つめ直すのですが、喉元過ぎれば何とやら・・・で、私のおこないは改まりませんでした。
 

Aさんが入院生活の時、私は行くと面会時間ギリギリの夜まで滞在して、帰る時は一緒に出口まできて見送ってくれました。病院を抜け出し、コンビニでお菓子をねだられたりもしました(本当はだめ)。

振り返ると私ばかりが見送るシーンが多かったように思いますが、逆もあったはずです。私は自分が見送った時に心に宿した思いを鮮明に振り返ることはできるけど、Aさんが私を見送った時の思いはわかりません。


ここ1年、その見送り方は早朝の送迎バスに変わりました。

とはいっても私は怠惰なので、せいぜい数えるほどでした。しかも2月、3月からやっとでした。朝、庭にノラ猫がくるのでエサやりのついでといった感じで。それも毎回ではありませんでした。

見送る時は何かしら心に感じて思いを改めるものがあるのに、帰ってきて出迎える時、再対面する時はすっかり軽く見ていました。

「おかえり」「またね行ってらっしゃい」というのがこんなに後悔の源になるとは知りませんでした。