雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

いつまでもあると思うこと

ふぐ料理店「づぼらや」閉店へ

大阪新世界の名店づぼらやが閉店するという。このニュース記事に、同タイトルの誰かの日記投稿があった。


〝歩いて行こうと思えば行ける近さのお店でも行くことはなく、遠方からの客人を一度連れて入ったきり閉店〟というようなエピソードが書かれていた。

 

 

私の家族、亡くなったAさん。
16年間いつも「私の側にいるもの。ここにいるもの」が当たり前で、私はAさんとの時間を優先してこなかった。時間はもとより、Aさんの意思も軽んじてしまっていた。

 

いつでも行ける散歩、いつでも行けるカフェ、いつでもいける買い物、いつでもお喋りできる存在、いつでも聞ける話。

 

「今度聞けばいいや」「来週にすればいいや」「そのうちね」「天気悪いから明日ね」「仕事の準備があるから来月」「今ネット見てて面白いからあとで」

 

とやっているうちに、
ある朝を境にAさんとはこの世で二度と会えなくなった。 あの世もあるかどうかわからないなら、つまり金輪際二度と会えないということなのかもしれなくて、永遠に失ってしまった日なのかもしれない。

永遠に私と一緒にいると思っていたAさんが。
この後悔は一生続く。

後悔して反省して詫びれば取り返しがつくかもしれない、というものではない。断たれてしまった。