雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

歴代の携帯電話から蘇る16年間

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Aさんとの16年間の思い出が詰まっている歴代の携帯電話を取り出してきました。
写真:上段がAさん、下段が私です。
上1台、下1台は現役で回線使用中です。

おそるおそる充電して起動してみました。「もし初期化されていたら・・・データが消えてたらどうしよう」という怖さもありましたがほぼ無事で、送受信メールも発着信履歴も写真も当時のまま残っていました。ただモトローラーのものともう一台が、電源は入るもののボタンが反応せず動作しないものがあります。基盤がズレているのでしょうか。
どうにか動かせる手段はないものか…ショップに持ち込めば相談にのってもらえるでしょうか?


メールは千件単位で当時のやりとりが再現され、
「あの日はこうだったな」「あの時とこの時はこういう時系列だったんだな」「こんなふうに思っていたんだな」などなど当時が鮮やかに思い出されました。


この作業をしていて苦しかったのは、何ということもない連絡のやりとりのなかに「Aさんからの私への思い遣り」があることに今初めて気づいたメールがあったということです。
そのやりとりは覚えているし状況もよく思い出せる。でも読んだ当時はそこに「思い遣り」を向けられているとは、私は気づいていなかったのです。見落としていました。
いっぽうで私から送信されているメールは惨憺たるものでした。

 


当時まったくわからなくて、今なら見えるもの。
今更実感しても伝えることも反応することもできない次元に置かれていることに、また悲しさが浮き彫りになります。