雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

同じ問題の再来と父に制止された意味とは

6月末〜7月にかけて、一本仕事の話が入っていました。話が来たのは3月頃。
しかし4月にAさんが急死したことによる衝撃と心の状態の落ち込みから、4月末の時点でこの話を辞退していました。

私にこの仕事を持ち込んでくれた方は、状態を鑑みすんなりと理解を示してくれました。なかには「引き受けるべき」「勿体無いやりなよ〜」「Aさんもそれを望んでいるよ」「なぜ断るの?今からでも撤回すべき」という意見も頂きました。
「何か楽しいことをしよう」「バリバリ活躍してこれから良い思いをしよう」「いつでも力になるよ」「できることがあれば言って」「前を向くためなら手伝うよ」
などの言葉をかけてくれる人もいましたが、その前提となる軸が「私だけの都合」に矢印が向いている感じがし、拒否感しかありません。
そもそも私の思いの出処が〝Aさんと、それに対する自分〟であり、「私が前を向くために都合よく落とし所を探そう」ということではないので、ベクトルに違和感があったのです。

またもしAさんなら今回何と言っただろうか?想像してみると、おそらくコロナ感染への懸念の観点から「今回はやめておけよ」と言うような気がするのです。(それこそ私の都合の良い解釈かもしれませんが)


とはいっても断った相手には少々申し訳なく思っていたところ、ほどなく発注元がプロジェクトへの不参加を決め、発注そのものが立ち消えになったとの状況がわかりました。そうなんだ、少し動揺したけど結局良かったじゃないか、と思いました。にも関わらず「もうすぐプロジェクト始まるね。Aさんは活躍を望んでたんじゃないかなぁやれば良かったのに」などと言ってくる人もいました。


そして4月、5月、6月現在と引き籠って過ごし24時間の概念もでたらめで、呼吸する物体が時間軸を横移動しているような存在になって、ただ耐えるために存在しているような時間を過ごしています。

それが数日前のこと。ある知人から連絡がありました。
そのプロジェクトに参加する態度を示し始めた新たなる人物の出現。土壇場で参加する可能性があるのでもし態度が決定したら手伝って欲しい、という話でした。
一度断ったその同じプロジェクトです。発注元は思いもよらなかった全然べつのところからです。
通常このようなことはあまりなく、一箇所でも話がくることすらなかなか起きづらい性質のものなのですが、よりによって違う箇所からまた同じ話が・・・

とはいえ私はまだ、社会で円滑なコミュニケーションを取りながら責任ある一人前の仕事をこなす自信もありません。


考えがぐるぐる廻ります。
もしかしてAさんが「やってこいよ」と言っているのではないか・・・(今回の話をくれたのはAさんも知っている人)
都内のコロナ感染者は再び徐々に増え始めている。どう考えても感染しやすそうな現場の環境だけれど、もう感染してしまってもいいかもしれないな。私は持病で重症化の可能性のある側だけれど、Aさんがいなくなった世界で耐えながら息だけして時のたつままに生息しているのが苦しい。Aさんのところに行けるのだとしたらそれもいいじゃないか。Aさんに会いたい。また前のようになんでもない暮らしをAさんと共に過ごしたい。(それができるのかはわからないけれど)
ならば引き受けて感染するのも悪くないじゃないか。(←感染すること前提での乏しい頭脳)

そんなふうに思い引き受けました。


そして昨日の夜。母からの着信が鳴ったので出てみると電話口は父。

「あのな、お父さんにはお母さんとあんたしかもういないの。あんたは大事な人なの。食べるものやお金が困ったならいつでも言って来なさい。いつでも言って来なさい。お父さんお前が食べるものに困らないくらいお金あげるからいつでも言って来なさい。
だけど今は引き受けるのはやめなさい。あんたは大事な人なの。」

その後電話を母に代わり、「お父さんに話したら電話しろって言うから。やっぱりお母さんもそう思うわ。まだやめておいたほうが。」

と言われたのです。


大事な人、だそうです。私が。


そうか。
私がAさんを突然死で失い、それまで空気のように当たり前に思っていたAさんはじつはなくてはならない大事な人だったことを痛感させられているのですが、だから「どうしてあの時こうしなかったのだろう」「あの時行動をせず病院に言わなかったのだろう」「地理的な問題ばかりを考えて、問題の本質を見ぬふりをした結果私が死なせてしまった」というような後悔が山ほど溢れてくるし、今も新しい後悔が次々と生まれてくる(思い出される)のですが、その時の過去の私に今の私がタイムスリップして教えてあげたら、回避できたのかできなかったのかはわからないのだけれど、
父は、私にそう言ってきたのです。
父は、少なくとも後から「タイムマシンで過去に戻って言っておけばよかった」と思わないで済む行動を、今私にしたわけです。


私もそんなふうにAさんとの暮らしを真面目に送っていれば良かった。
表面上衝突しないように馴れ合いでテキトーに口先だけ合わせて、天気なんかの話して仲良し風に接するなんて、そんな関わりで落とし所をつけるようなことではなくて。
何かで頭にきて、たっぷりのイヤミを相手がいやがる抜群のタイミングを見計らってぶつけてやったわ!痛快!というような関わり方ではなくて。



そんなふうに考えていると、ますますこの二度目のオファーを引き受けるべきか、辞退すべきか決められないのです。