雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

出張先にて

約2ヶ月間の出張中です。

 

今夜のホテルの部屋のエアコンはダイキン。このリモコンは私の部屋のと全く同じだ。

私はaさんが死んでいたあの朝から二階にあがっていないので、このリモコンを10ヶ月ぶりに見た。

そういえばこれだったなと。

また、しばらく見ることはないのだろうな、と思ったりなどしている。

選択を回避したこと

この一年は夏の盆踊りも冬のイルミネーション見物も行かなかった。
それはひとえにコロナ禍で「行かない」ことが一択強制だったからなのだけど、私としてはひとつ助けられた感じ。

9ヶ月前に死んだaさんとは、毎年欠かさず夏の盆踊りに行った。7月8月は各週どこで開催されるか調べ上げて、あちこちの盆踊り会場をハシゴした。

地元の会場では近所の健康センター(日帰り温泉)の割引券付きのうちわが配られて、それを集めてaさんとお風呂やさんに通った。朝から晩までお風呂やさんで過ごして、リクライニングでTVを見たり食堂で過ごしたり煙草を吸ったりして過ごすのが贅沢に感じ、楽しかった。

冬のイルミネーションは欠かさずというほどではないが何回か行った。厳寒の中歩き回った記憶が、寒さの強い体験と相まって焼きついている。

aさんと恒例行事のようになっていたそれらが、この一年はコロナ禍のため開催されなかった。

でも私にとってはひとつ救われた。

今まで欠かさず行っていたものが、aさんが死んで、その後開催されたら、自分の意思ひとつで行くかor行かないかを決定することになるので、

その結果生まれる感情を引き受けることから逃れられたように思う。

〝行く〟〝行かない〟どちらにしろその選択を決定するのは重くて、どちらを選んでも苦い感情を味わうことになるのは想像つく。
その結果味わうであろう自分の感情を、自分以外のところに責任を置くことで回避した。

(そのうち開催される年がきたら自分で決定しなくちゃいけないことになるので、つまり今回は先送りができたということ)

ついでにこのまま桜も咲かないでいい、咲かないでくれたらいいと思う。

御供物の葛藤

よく行くスーパーが改装により一時閉店とのことでセールをしていた。そこでユリの切り花をいつもより多く買い、aさんと犬の祭壇に供えた。
でも本当はこんなことじゃなくて、もっと生きてる時に欲しいものや食べたいものをケチらずに差し出しておけば良かった。

いま花なんか供えても、それは

【罪悪感を有耶無耶にして誤魔化したい自分のため】でしかないという気がする。

さりとてそれを止めることはできないから、その度にこの感情が再現される。

虹とスニーカーの頃

そういえば自分でスニーカーなる物を選んで買ったのは一年前(令和2年)の正月が初めてだった。

それまでは昔イベントのユニフォームで運動靴?を与えられたくらいで、それも足を通したのはイベント期間一週間くらいのもの。スニーカーとは無縁だった。

 

最近みな軒並みスニーカーを履いているしスカート履いてても足元はスニーカーの人たちが多い。昔なら「あらあの人、靴が壊れちゃってあり物を臨時で履くしかなかったのかな?」と思っただろうし、悪目立ちする合わせ方だった。

それが今は馴染んで普通になっている…

 

また、昔なら(←ばかり言って失礼します)絶対に履かなかったであろう母が、スニーカーやジーパンを履いたりもしている……

aさんと私の母は同じ年齢なので、aさんも出会った16年前は革靴か、それに準ずる靴以外選択肢にありえなくてとてもズックなんて履くタイプじゃなかったのに、近年はスニーカー、リュック、キャップを着用するようになった。思い返してみても随分変わるものだ…

 

ということで遅まきながら私も入手した。

そして履き心地も気に入って使用シーンをあれこれ想像した。

 

あの仕事で使えるな!

aさんとこれであちこち散歩に行こうかな、二人ともリュックも持って…

歩くことそのものを目的として、久しぶりにaさんと昔行ってた公園に遠出するのもいいな

犬も連れて行って…aさんも退屈な日常だし気分転換になるな

 

 

それができる機会は残り3ヶ月とも知らずに。

 

結局近場への日常の買い出しや役所に行くのに履きはしたけど、思い描いたような使い方はしないままaさんが死んでしまって、二度とこのスニーカーでaさんと出かけることは出来なくなった。

流れるメロディと記憶

この前の4月頃から今現在直近のものも含め、世の中で流れている音楽やCMなどはそのうち移り変わり耳にしなくなるだろう。

その時は〝変わったな〟などと意識しないはず。
で、数年後にふと聞こえてきたりすることになるはずで、それが怖い。

aさんが死んだ場面と紐付いてる。

あれからの日々と紐付いてる。

トランプ

4月にaさんが死んだ時、私は無性に何か何か…トランプか何かをしていなきゃならない感覚になって、うちの大家さんとひたすらトランプして時を凌いだ日々があった。

常に身近に置いて突然「トランプしよ」と誘い気の済むまでやった。それで気が済んだことはないけれど、そうせずにはいられなかった。


ふと、aさんと暮らした16年間、aさんとトランプしたことは一度もなかったなと思った。

16年間も時間があったのに、aさんと一緒にやらなかったこと、経験しなかったこと、後回しにしてきたことはたくさんあると思った。

aさんはいない

4月まではこういう夜中に煙草が切れると、
「外に出たくないな、どうしようかなぁ」
と暫し抵抗しつつも、aさんに一緒に来てもらってコンビニに行った。
もうaさんはいないから煙草を切らせられない。買いに行けなくて不便だからというより、その状況になった時に自分に起こる感情を味わいたくないから。

aさんに車があった時代は夜中あちこちドライブしてよく近くのファミレスに行った。
aさんと私は超夜行性だったので、夜になると活動し出した。
前のアパートの時は犬連れて夜中散歩した。犬ももういない。