雨やどり〜azurの日記

令和二年、四月。家族が突然死で私の人生からいなくなってしまい、世界が変わってしまいました。「諸行無常」という言葉の意味がわからないけど、今の私には抵抗感しかありません(でもどうやら違うようですね)。後悔、罪悪感、悲しさ、寂しさ、その他雑多な感覚のなかで、意識が継続されることが苦しいです。

異邦人

最後だとわかっていたなら

あなたが眠りにつくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出ていくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめてキスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたなら

一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と

わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる

でも もしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら

わたしは 今日

どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも

明日は 誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら

今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら

あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための

ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に

その人の最後の願いとなってしまったことを

どうして してあげられなかったのかと

だから 今日

あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していること

いつでも いつまでも大切な存在だということを

そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を

伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても

あなたは明日を後悔しないだろうから

引用『最後だとわかっていたなら』

作/ノーマ・コーネット・マレック(1989)

訳/佐川睦

出版社/サンクチュアリ出版